新規事業に多額の投資 本当の怖さ分からず
自社農園「大入葡萄(おおいりぶどう)園」で収穫したワイン用ブドウ「シャルドネ」。悩んだ時はブドウ畑や隣接の森をよく散歩していた
1988年、フード工場が完成し、念願のジャムの自社生産がスタートしました。当初は工場の2階に小さなアンテナショップを設けました。89年にはレストランがオープン。そのほかに、ワイン用ブドウ栽培の開始、ワイナリーと本格的なショップの新設と、3年くらいの間に事業をまとめて立ち上げました。
これらの新規事業のために採用したスタッフを含めて全体で50人を超える規模になりました。ただ、一気に全部をやろうとしたので人材の育成が追い付きませんでした。また、金融機関からの多額の借り入れをして投資をしたので、自己資本比率が低過ぎ、資金面はかなり脆弱(ぜいじゃく)でした。
自社農園でワイン用ブドウが収穫可能になるまでは、外部から購入したナイアガラブドウで非加熱のナイアガラワインを醸造。香りの素晴らしいものができ、その売り上げで何とか資金を回しました。しかし、ブドウの収穫ができるようになるまでの5年ほどの間も人件費とランニングコスト(燃料代など)はかかり、10年間で1・3億円の累積赤字を出してしまいました。さらに、白ワイン用の「シャルドネ」のような欧米系の品種は、2〜3年くらい熟成させないと良いワインになりません。最初から分かっていたこととはいえ、資金繰りが苦しい状態になりました。
レストランは話題になり繁盛したものの冬季は客足が少なく、レストラン事業はスタートから9年間で1・5億円の赤字に。難しい事業だと、やってみて初めて分かりました。
唯一もうかっていたのがジャムのフード事業。回転率も良く卸売りの売り上げも好調でした。
欧米の先進地を見て「これだ」と思い込んで始めた事業であり、全体の将来性、ブランド力を上げていくための方向性は正しかったと思いますが、いっぺんに多くのことをやり過ぎました。
「本当の良いビジネスはお客さまの半歩前を提案すること」といわれますが、私の場合は10年以上早く先走りしていました。私がワイン事業をスタートした約30年前、日本人の食生活にワインはまだなじみが少なく、ちまたでワインはさほど売れていませんでした。そんな中、信州ワインを知ってもらおうと志を非常に高く持って事業を始めたわけです。
ヨーロッパや米国で私が体験したものを、理想の将来ビジョンとし、日本人に提供したい。私と同じように感動してもらえるに違いない。そう考え、何としても実現させるんだという大きなビジョンと衝動があったから実行できました。
普通だったら多額の投資をすることは怖いと思うかもしれませんが、それを上回るエネルギーが私にはありました。一方で、世間知らずで未熟だったので本当の怖さを分かっていませんでした。経営者として甘かったと、今になって痛感します。
健康体で生まれ、幸いお金に苦労せず恵まれた環境で私は育ちました。体は頑強で柔道、野球、スキーもそこそこうまくなり、大学受験、プロポーズ、ジャムの創業もうまくいきました。努力によって願いをかなえてきた人生でした。成功体験が重なり、一方ではチャレンジを恐れるきっかけとなる挫折体験をしてこなかったことが、私の強みであり、弱さでもありました。
90年、会社の売上高は7・1億円になりましたが、赤字補填(ほてん)で金融機関から借り入れを重ね、91年の借入金は8・2億円に。年商を上回る借入金があるのは一般的には危険水域です。資金繰りが厳しくなるにつれて金融機関からの信用が落ちていくのを肌で感じていました。
聞き書き・松井明子
2021年5月29日号掲載
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