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14 校長のバトン引き継ぐ

  • 4月19日
  • 読了時間: 3分

清掃工場で再びショー 環境とファッションの共生

ショーのラストでごみ投入口のドアが開き、衝撃的な光景とドレスとの対比を生んだ瞬間
ショーのラストでごみ投入口のドアが開き、衝撃的な光景とドレスとの対比を生んだ瞬間

 1995年8月下旬、信州青年洋上セミナーを無事に終えてから数週間後、岡学園の創立50周年同窓会記念パーティーがあり、ここで母久子から、私が翌96年度より校長のバトンを引き継ぐことが発表されました。私は37歳、母は74歳になっていました。


 この頃の岡学園は、アパレルの台頭とともに徐々にではありますが、確実に学生数を減らしており、入学者数は40人を切る状況に落ち込んでいました。周辺には閉校する学校もあり、ファッションという分野だけでは、地方の学校としては厳しい時代に入っていたのです。


 前年、全国で話題になった清掃工場でのファッションショーをさらに発展させたかたちで開くなど、学校としてももっとあらゆることに挑戦していかなければと考えていた私に対して、母は、何をやるにしても、仕事に追われる私の体を心配しながら「ここまで頑張ってやってきたのだから、これ以上そんなに無理する必要はない」という姿勢でした。母と私の年の差は37歳。立ち位置の違いは顕著でした。この時、「すべての責任を負うから」と、母に自分が校長になることを切り出し、受け入れてもらったのです。


 この後私は、創立50周年記念の事業として、94年に清掃工場のごみ投入フロアを会場に開いたファッションショーの第2弾を立案。「環境モードフェスティバル'96」の名称で、再び市清掃センターを会場に実施するため動き出しました。


 企画の一つとして行った岡学園主催の「全国環境モードコンテスト」には全国のプロ、アマより726点もの作品が寄せられ、30点の入賞作品を審査委員として選びました。当日は、21世紀を目前に決して楽観できない環境問題に対して、「衣」という角度から警鐘を鳴らしたいと、いわゆる環境素材を使用して学生たちが制作した作品90点を発表しました。


 ステージは、「ゴミ問題」「オゾン層破壊」「限りある資源」「温暖化」など七つのカテゴリーに沿って展開。最後にウェディングドレスが舞台に登場すると、ごみ投入口のドアが開き、ごみピットの巨大なクレーンがそこに捨てられていた膨大なごみをつかんで持ち上げ、ドサッと落とすという演出も実現させていただきました。瞬間的にごみぼこりや、鼻を突く臭いも飛んできました。2年前に私が清掃工場でファッションショーを開こうと考えるきっかけになった、あの時見た光景を目の前で皆さんに見てもらうことができたのです。


 生の「現場」の大きな力を実感する機会であり、その演出を許可くださった塚田佐市長(当時)および職員の皆さまの理解に今も感謝しています。「環境とファッションの共生」をテーマにした2回にわたる清掃工場でのファッションショーの経験と、「循環型繊維ポリ乳酸」との出合いにより、私は「環境に配慮した洋服を継続的に作るデザイナーになりたい」という明確な方向性を持つことができました。折しも2年後に「長野冬季オリンピック」を控えた時期。長野冬季五輪は「今世紀最後の環境五輪」とも言われ、「美しく豊かな自然との共存」を基本理念としていました。


 大量生産、大量消費のファッションを循環型に転換させたいとの思いから、このオリンピックを通して環境との共存を目指したショーを開催して世界に発信することへとつながっていくのです。

(聞き書き・中村英美)


2025年4月19日号掲載

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