133 ずくと知恵の遺産03 急傾斜に挑む

山には山なりのやり方が

かつての桑畑が梅林となった信州新町の琅鶴(ろうかく)湖畔

 ぬれ土の 足にからむを 振り払い

 傾斜の畑の 桑をかつぎぬ

             下平睦子

(信州新町公民館発行「養蚕の思い出」より)

 

 人の背を覆うほど伸びた桑の下はぬかるみやすい。泥に足を取られながら雨の日も、重い桑の束を背負って急坂を上り下りする苦労は想像を超える。

 〈現在この西部地域は、長野県下でも数少ない養蚕の核心地の一つになっている〉。1979(昭和54)年の「上水内郡誌」には、信州新町、小川・中条村など西山地区についてこんな記述がある。

 昭和40、50年代、製糸業の先進地岡谷、諏訪などは、精密機械工業へ軸足を移した。養蚕の核心地とは、蚕糸王国の締めくくりを任され、最後の光芒(こうぼう)を輝かせた歴史の断面と言っていいかもしれない。

 西山地区は典型的な山間丘陵地である。水田が開ける平地といえば、主要河川の犀川や土尻川沿いとか、散在する小盆地に広がる程度だ。耕地の大部分は、山腹の急傾斜畑で占める。信州全体の中でも、耕作面積のうちの畑の割合が抜きん出て高い。

小川村成就(じょうじゅ)。斜面の上に蚕室造りの家が建つ

 人間が立っていられる所は、全て畑にした―。そう評されるくらい、何世代にもわたり〝ずくと知恵〟を働かせる営みを通じて挑んでいる。

 上水内郡誌が西山地区を養蚕の核心地と評価した根拠に、桑園面積・養蚕戸数・収繭量などのほか、飼育方法の近代化を挙げた。中でも卓越するところとして旧村名で水内・津和・栄・南小川の4カ所。これに次いで北小川と日里を加えた。

 しかも驚くことに50(昭和25)年の時点で、耕作総面積に対する水田の比率が、津和村はわずか2%でしかない。栄村も1割未満の9%だ。大部分が畑であることを鮮やかに物語っている。これら畑地に桑を植えることにより、西山地区は養蚕を盛んにしていった。

 信州新町公民館の労作、郷土再発見「養蚕の思い出」の中で、昭和7年津和村生まれの西沢一さんが〈山には山なりのやり方がある〉と、誇らかに唱えた。急傾斜地農業であればこそ、知恵を発揮して克服してみせる。前向きにとらえ直す意気込みだ。

 西沢さんは若い頃こんな言葉と出合った。

〈山に畑が立てかけてある。それにふさわしい農業のやり方がある〉

 北九州市出身の農民作家鶴田知也さんから聞き、これを指針に傾斜地にしかできない作物を選ぶよう心掛けた。養蚕・酪農・こんにゃくの3本柱だ。

 そして信州新町自身が、地域挙げて取り組んでいく。急傾斜地に農道を張り巡らす一大事業である。やっと人が歩ける道しかなく、何を運ぶにも背負子(しょいこ)を肩にした〝背負子農業〟からの脱出だ。

 
一口メモ[桑]

クワ科クワ属の落葉樹。亜熱帯から温帯に分布。蚕の飼料に栽培される。幹や枝を支える中心の根が、真っすぐ深く地中に伸び、急傾斜でも荒地でも、しっかり根付く強さがある。


2022年10月1日号掲載