127 信州シルクロード19 私鉄の広がり

蚕糸業との関わり深く

信州私鉄の先陣、伊那電車軌道(現JR飯田線)が目指した天竜峡駅

 真田城址の上田町 

 縞の産地の名残ぞや

 千曲の流れ音たかく

 汽笛のこゑにひゞきあひ

 坂城の駅もいつしかに

 いくや屋代の停車場

 「地理唱歌汽車の旅」第三集より

 

 信越本線の駅名を織り込みつつ1900(明治33)年、地理の学習用に発行された。上野を出て線路伝いに高崎、軽井沢とたどり、佐久平を抜けて真田城下の上田へ。そして千曲川沿いを坂城、屋代と順に歌い継いでいく。

 信越本線が着工された当時、工事は歌の順番とは逆に直江津側から進められた。その名も「直江津線」と呼ばれる。1888(明治21)年12月1日、軽井沢まで開通した際、長野県内に設けられた駅は全部で12カ所だった。

 柏原(現黒姫)・牟礼・豊野・長野・篠ノ井・屋代・坂城・上田・田中・小諸・御代田・軽井沢—である。

 今と比べて何より、駅と駅との間の距離が長い。拠点と拠点を大きくつなぐ方式だ。〈坂城の駅もいつしかに〉と地理唱歌で歌うごとく、先へ先へ一足飛びの急ぎ足ぶりだ。


安曇野を縦断する信濃鉄道(現JR大糸線)の中核・豊科駅

 もともと信越本線が国の政策に基づく幹線として敷設されたからだろう。幅広く多様な住民の願望に、必ずしも添うとは限らない。信越本線、続く篠ノ井線に中央本線の3本柱が整うや、次はおのずと地域密着型の色濃い私鉄の出番を迎えた。

 ことに明治40年代以降、この傾向に拍車がかかる。蚕糸業を筆頭に産業が盛んになるに従って輸送需要が増大。私鉄経営の基盤も充実し、追い風が吹く。

 「長野県史第八巻近代二」では、昭和初期までに開通した県内私鉄を一覧している。明治40年9月創立の伊那電車軌道(現JR飯田線)を皮切りに、二番手が明治45年3月に始まった現在の大糸線、信濃鉄道だ。

 前者は伊那谷を経て太平洋岸に、後者は安曇野を縦断して日本海へ。共に国営の幹線ルートから外れた地域の鉄路を補い、周辺住民の期待に応えようと私鉄が頑張った。

 大正期に入ると信州の私鉄は、創業のピークに差し掛かる。まさに蚕糸王国の全盛期。千曲川右岸の河東線がそうであったように、各地の私鉄と蚕糸業の関わりは深い。

 1915(大正4)年8月開業の佐久鉄道、大正5年9月創立の丸子鉄道、同9年1月設立の上田温泉軌道、同10年6月開通の青木線、同14年8月設立の池田鉄道などが、地域の期待を背負い相次ぎ鉄道事業に乗り出した。

 それぞれ共通して蚕糸業が盛んな地だった。その典型的なケースが「蚕都」を誇る上田地域の私鉄網である。いわば身近な鉄路を蚕が支えた—。そう言っても過言ではない。


2022年7月2日号掲載