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12 清掃工場でファッションショー

  • 4月5日
  • 読了時間: 4分

更新日:4月10日

ごみ投入フロアを会場に 大きな歓声と拍手に涙

カセットテープを編みこんだ作品も登場。スポットライトにきらきらと輝いた
カセットテープを編みこんだ作品も登場。スポットライトにきらきらと輝いた

 1991年、知人の誘いを機に長野青年会議所に入った私は、93年に同会議所の環境問題委員会に所属しました。その年の夏、委員会活動の一環で、まずは現場に足を運ぼうと松岡にある市清掃工場を見学に行きました。


 毎週、近所の収集指定所にごみを出しておけば収集車が運んでくれる。それを当たり前のことと思っていた私にとって、そこで見た光景はあまりに衝撃的なものでした。


 ごみ収集車がひっきりなしにやってきては、巨大な建物内のごみピットにどんどんとごみを落としていくのです。強い臭いに圧倒されながら恐る恐るのぞくとごみピットには大量の生ごみにまざって洋服もたくさん捨てられており、その途方もない量に「これが私たちが出しているごみなんだ」と、何とも言えない気持ちになりました。


 大量生産大量消費、「使い捨て」という言葉が当たり前に使われていました。しかし、この状況がこれからも続いていくことは本当に良いのだろうか…。頭の中は疑問でいっぱいになりました。この状況を見てショックを受けた自分のように、一人でも多くの人がここに足を運んでもらえるようにできないものか。そんな思いが交錯する中、私がやれることはここでファッションショーをすることではないかと頭によぎりました。


 学校に戻るやすぐに学生たちに相談しました。「時代を反映するファッションとごみ。ファッションが光ならばごみは影。表裏一体、明暗の対比を見てもらうためにごみ焼却場でファッションショーを開けないか」と。しかし、学生たちも、学校長の母も猛反対。ファッションは「憧れ」。それまではホテルやながの東急シェルシェなどを会場に開催してきたファッションショーを、清掃工場で開いても誰も行きたいと思わないだろう、学生最後のショーなのだからかっこよくやりたい。ましてや会場として貸してくれるかも分からない…と。


 皆が反対する気持ちも十分理解できました。でも諦め切れない私は、「ファッションは時代を反映するもの。それなら、使い捨て時代の現場も見てほしい」と、学生たちを連れて現場見学に行くなどして理解を求める一方、清掃工場に通い、ショーの会場として使わせていただけるようにお願いを続けました。当初施設からは「遊び場ではないし、何かあっても責任を取ることはできない」と断られたのですが、幾度となくお話しする中で徐々に思いが伝わり、結果、許可をもらうことができました。


 それから学生たちと共に制作に数カ月かけ、94年3月6日、世界で初めてであろう、清掃工場のごみ投入フロアを会場としたファッションショー「コレクション'94」開催の日を迎えました。「共存」をテーマに学生たちは、新聞紙、布や革の端切れ、破れたストッキング、カセットテープなど廃物を再利用したリサイクル作品150点余りを次々と発表。この日4回の公演には、予想をはるかに上回る延べ2000人余りもの人たちが詰めかけてくださったのです。たくさんの人たちが会場に来てくださったことに心が震え、巨大なごみ投入口のシャッターを背景にした特設ステージに立った学生たちが、ずっと大きな歓声と拍手に包まれる姿に、これでよかったんだと涙がにじみました。


 振り返ると私の心の中では、当日を迎えるまで本当にお客さまがこの寒くて遠い会場まで足を運んでくださるのか不安でした。また、学生たちの気持ちも考えれば、何度もこの選択をしたことが間違っていたのではないかと悩みました。ショー前夜、開催を反対していた清掃工場の職員の皆さんが遅くまで会場を少しでもきれいにとブラシで磨き上げてくださったこと。青年会議所のメンバーたちが駐車場整理を手伝ってくれたこと。何よりご来場いただいたお客さま。本当にたくさんの人の協力や応援があって開催できたショーを私は一生忘れることはありません。

(聞き書き・中村英美)


(2025年4月5日号掲載)

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