114 信州シルクロード6 遠州森町

古着ファッションを先導

旅館の看板が残る森町の秋葉街道

秋葉路や 花橘も茶の香り

流れも清き 太田川

若鮎躍る 頃となり

松の緑も 色さえて

遠州森町 よい茶の出どこ

娘やりたや お茶摘みに

 

 南アルプス沿いに秋葉街道は南下していく。信州・遠州の境、青崩峠を越えて標高が下がり、谷筋が平野へと差し掛かると、古い歴史の宿場町、静岡県周智郡森町である。

 江戸幕末、横浜開港と同時に輸出品の双璧を成したのが生糸と茶だ。森町も茶の産地、大いに活気づいたのはいうまでもない。

 ところが昭和初めの世界的大恐慌で苦境に陥る。活路を見いだそうと1932(昭和7)年、森町茶業青年研究会が結成された。初代会長の島房太郎が〈秋葉路や〉で始まる一編の詩をまとめ上げる。

 そのころ大人気の浪曲師広沢虎造のところに持ち込み、口演の冒頭に織り込んでもらえないか懇願した。やがて窮余のアイデアが実を結ぶ。34(昭和9)年3月のことだ。町内の劇場で「清水次郎長伝森の石松」が始まるや、〈遠州森町よい茶の出どこ〉と虎造節がうなる。

 以来、ラジオで放送され、レコードになり、遠州森町の茶が全国に知られていった。

 もう一つ、茶と並んで古着の集散地としての栄光が、森町を特色づける。絹や木綿類がさまざま手広く取引され、秋葉街道のにぎわいを盛り立てた。

山腹の茶畑(森町薄場)

 江戸時代は今でいうリサイクル、資源を再利用する循環型に徹している。衣類も古着が当たり前、むしろ古着の商いが、時代の先端を行くものだった。

 業界を代表する大店(おおだな)の一つ山中屋の歴史を、保存されていた古文書で克明にたどった「山中家盛衰記」が、そうした状況を具体的に物語る。それによると、秋葉街道の中核的な宿場町だけに、大小数十軒の古着商が、全国の相場を左右するとされるほど繁盛していた。

 山中屋の場合、扱っていた商品は、小袖・袷(あわせ)・単衣(ひとえ)・羽織・袴・真綿や各種縞布など多岐にわたる。それらを名古屋、桑名、岡崎、笠井、浜松などの百数十店から仕入れている。

 森町からどこへ卸売りされたかといえば、最も多いのが東海道五十三次最大規模の宿場、府中(静岡市葵区)だ。徳川家康が大御所として実権を振るった城下である。さらには御殿場、掛川などのほか甲州、信州、上州と範囲は広い。信州では長野の若松屋七兵衛などの名が記録に残る。

 山中家盛衰記の編著者山中真喜夫さんは山中家14世に当たり、現在99歳。語り口もよどみがない。「今と違って当時は使い捨てにしない。リサイクルが生活の常だった」と。秋葉街道は人の生き方の通い路でもあった。


2021年11月27日号掲載