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11 コンテスト挑戦に区切り

  • 3月29日
  • 読了時間: 3分

応募総数2万点の中で メンズ部門のトップに

受賞作品を着用した男性モデルとランウエーを歩く私(右)=1989年
受賞作品を着用した男性モデルとランウエーを歩く私(右)=1989年

 20代の初めからファッションコンテストへの応募と受賞を重ね、学生たちもコンテストで数々の受賞をし、全国を意識する空気は学内に定着していきました。


 私自身、30代に入り、コンテストへの挑戦もそろそろ区切りをつけようと、1989年に「これが最後」という気持ちで「第6回オンワード新人デザイナーファッション大賞メンズウエア部門」にトライしました。それまではずっとレディース部門での受賞でしたが、最後にして初めてのメンズ部門への挑戦を試みたのです。


 コンセプトとしたのは「国境のない世界」。戦争や紛争で分断される国々を人種や国籍を超え、いつか誰もが自由に行き来できる平和な世界へ…との思いを込めた作品。折しも同年は28年間続いたベルリンの壁崩壊の年でもありました。そんな思いを形にした私の作品は、国内外応募総数2万点の中で、結果メンズ部門トップの優秀賞に選ばれたのです。


 審査委員長であった世界的ファッションデザイナーのジャン=ポール・ゴルチエ氏や、森英恵氏、花井幸子氏、トップスタイリストの原由美子氏らが厳しい目で審査にあたり、公開ショー形式で即座に審査点数が会場に掲示される緊張感の中、最高得点をとった私の名前が呼ばれた瞬間は、それまでのさまざまなことがよみがえり、本当に言葉にならない感謝の気持ちでいっぱいになりました。


 また、授賞式の後、オンワード樫山の馬場彰社長が受賞者を前に「あなた方は努力とともに、人生において強い運を持っていると信じてこれからも進んでください」とおっしゃった言葉が今でも私の心の中に生きています。8年間続けてきたコンテストへのトライは人生の思い出に残る達成感とともに終止符を打ちました。


 一方、炭平コーポレーションの鷲沢正一社長(当時)にお話をいただいて始まったユニフォームのデザイン制作はありがたいことに好評で、次々とほかの企業からもご依頼をいただくこととなりました。八十二銀行様、長野信用金庫様、小布施堂様、竹風堂様、NTT病院様、アップルグリム様、アピックヤマダ様、松代高校様など、約6年間で40社を超えるユニフォームデザインをご依頼いただき、長年にわたってご愛用いただきました。


 中でも思い出深いのは98年に携わった八十二銀行の制服。それまで銀行の制服は、きちょうめんで規律正しいイメージを打ち出すために多くが「紺色」だった時代に、全国でも珍しいコミュニケーションカラーでもある「イエローベージュ」を制服に使用したこと。これは八十二銀行の地域のお客さまとのコミュニケーションを何より大切にし、デジタル化が進む店内でも、困ったらスタッフに声をかけやすい雰囲気づくりなど、「地域のお客さまと共に」をコンセプトに選んだ色でした。


 93年に松本で開催された信州博では、そのおもてなしの顔となるコンパニオンユニフォームをデザインし、光栄にも開会のテープカットにも参加させていただいたことを懐かしく思います。また、伊那市の環境にも配慮し続ける電子部品開発メーカーのKOA様は93年から2023年までおよそ30年間の長きにわたり、KOAの顔として着用してくださったことに感謝しています。


 このように各企業や団体、あるいはイベントなど、街の中に私のデザインさせていただいたユニフォームを何千人という人が毎日着用してくださったこと、そしてその光景を時として見ることができたことは「地域の皆さんとこの街で一緒に生きている」という思いを私自身に抱かせてくれる本当にありがたいものでした。

(聞き書き・中村英美)


2025年3月29日号掲載

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