109 信州シルクロード01

山腹のオアシス 絹を生む里がこつぜんと

かつて製糸場が栄えた萩倉中心部

諏訪大社下社 御柱木遣り


ヤアー 山の神様 お願いだー


ヤアー ここは木落とし お願いだー


ヤアー 心合わせて お願いだー

 

 長丁場の諏訪大社御柱祭には、幾つか見せ場がある。男たちが度胸を試し、見物人もハラハラドキドキの場面といえば、100メートルもの急坂を巨木もろとも一気に滑り落ちる下社の木落としだろう。

 少し手前には、道がS字状に大きくカーブする萩倉の大曲がりがある。難所の連続する諏訪郡下諏訪町の萩倉集落だ。ここにかつて製糸業の花開いた歴史があった。今やほとんど忘れ去られている。

 残念な思いに駆られて訪ねてみた。町の中心部、下社秋宮前の旧中山道(国道142号)を和田峠へと緩やかに上る。4キロほどで右手に谷底から見上げるような木落とし坂が現れた。天辺には実物大の御柱模型が据え付けられ、谷深く見下ろす。

 その先に広がる家並みを歩いて驚いた。道端に板を組み合わせた立派な案内板が建てられている。そこに「水清き製糸発祥の里!萩倉」と大きく横書きされているではないか。


水車小屋跡の案内板

 さらにイラストがびっしりと描かれ、道筋の製糸工場、3、4階建ての繭倉庫、浴場、水車小屋はじめ、樹木や石碑などの描写も克明だ。じっと眺めていると、往時の製糸業盛りの頃の様子が目に浮かび上がってきた。

 標高約943メートル。諏訪湖と向き合い、和田峠を背にする場所だ。こんな山奥にどうして製糸の里が出現したのか—。謎を解く鍵の一つがシルクロード、つまり絹の道にあった。

 1878(明治11)年、最初の工場ができて萩倉の製糸業が始まる。その頃岡谷など諏訪湖周辺では、洋式の器械製糸場が相次ぎ創業されていた。養蚕の先進地小県方面から原料の繭が、和田峠を越えて運ばれてくる。

 いわば繭の道に沿って萩倉が位置することになった。御柱街道沿いの山からは、燃料の薪(まき)が手に入る。動力用水車を回す水も豊富に流れている。こうして最盛期には製糸場が七つ、従業員約600人もの糸の町が生まれた。

 製糸業が始まる以前の明治5年、萩倉は世帯数34の小さな山里だった。それが25年ほど後には100世帯を超す。寄宿舎に住み込む若い工女たちでにぎわい、商店が進出してくる。銭湯もできた。駐在所も設けられる。

 市街地からは遠く離れた山腹に、こつぜんと絹を生む里が形づくられたのだ。規模こそ違うものの、砂漠に誕生したオアシスを思わせる。それは原料の繭や製品の生糸を運ぶ道、シルクロードの中山道があったからこそだ。


2021年9月18日号掲載