top of page

108 糸の村・糸の町35 柳田国男の貢献

「小さな力を大きく」と説く

伊那谷の蚕糸業をリードした創立時の竜水社本社

 小さな力をまとめて大きな力にするのが産業組合だ。この組合が連合すれば、更に大きくなり、大きな仕事ができるようになり、大きな利益を生む。

                                     柳田国男

 

 「日本民俗学の父」とも称される柳田国男(1875〜1962年)である。大学を卒業と同時に農政官僚となり、講演行脚してこう農民を励ました。

 20世紀に入って早々の産業組合、そして組合製糸の発展は、若き柳田の熱き啓蒙活動、明快な理論的支柱抜きには語れない。上伊那地域組合製糸の歴史をたどった「竜水社七十年史」には、柳田の熱弁ぶりが講演要旨として記録されている。  

 1901(明治34)年11月、長野市城山館でのこと。できたばかりの産業組合法、つまり力のない弱小生産者の保護育成策を地方に広げようとしたのだ。

かつての桑園地帯に再建された川路駅

一、最終目的を簡単明瞭に話すならば「貧乏人が金持ちになる最も適当な方法である」ということだ。

一、産業組合の要素は第一が自助、次が合同、この二つである。

 その上で説いたのが冒頭のくだり「小さな力を大きな力に」だ。柳田の話のポイントを農民の側で書き留め、どう受け入れたか—重い意味を持つ。

 これより早く1898(明治31)年に上伊那では、養蚕農家が育てた繭で自ら生糸を作る製糸工場が創立されている。産業組合法が整うや、直ちに許可申請を出し、全国初の組合製糸となった上伊那合資会社である。

 柳田の力説した小さな力の結束、農民の自助・合同は、同じく農民もまた求めていたことにほかならない。中央の若手農政官僚の構想と末端農家の願望が、これほど互いに響き合ったことは、今日でもなお注目に値する。

 柳田の生まれは兵庫県。東京在住の旧飯田藩士柳田家の養嗣子となり、信州との深いつながりができた。今でも飯田市には、大きな書斎兼住居の建物が東京・世田谷から移築され、柳田国男館として保存活用されている。

 地域の活力をはぐくみ、地域の暮らしを担う人々のやる気を引き出す上で、理想の旗を高く掲げる必要を教えてくれる。120年前に柳田が植え付けていった大きな遺産だ。

 いま飯田市内の天竜川下流、JR飯田線川路駅に降り立つと、駅前には商店も住宅も見当たらない。日本三大桑園の一つともされた一帯は、1961年の三六災害ですっかり破壊、流出してしまった。

 家屋などは高台に移り、一面に平地が広がる。線路も付け替えられた。目立つのは蚕の繭をイメージして建てた駅舎だ。遠くからも銀色に映える姿は、長らく住民と共にあった養蚕・製糸の歴史を誇るかのように輝いている。


2021年9月4日号掲載

 © weekly-nagano  All rights reserved.

bottom of page