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10 カラーアナリストとして

  • 3月22日
  • 読了時間: 3分

企業の制服制作に生かす 個人事務所設立 起業家に

総合色彩コンサルタントとしてコンサルティング活動中の私(1990年ごろ)
総合色彩コンサルタントとしてコンサルティング活動中の私(1990年ごろ)

 20代後半になると私は、授業で学生たちに今年の流行やトレンドカラーの話をする中で、とりわけ「色彩」について、もっと深く知りたいと思いました。週末や夏休みなどの長期休日を利用し、数年間、東京のいくつかの色彩コースの授業を受けました。


 テーマは、自然と人の関わりから生まれる「色彩心理」のこと、商品企画に重要な「カラーマーケティング」の世界のこと、似合う色の診断をする「パーソナルカラー」のことなど、興味を引く分野がいっぱい。私は、こんなにも身近にある色の存在がこれほど人に対して大きな影響力を持っていることを知り、学生たちはもちろん、多くの人に伝え、役立ててほしいと思うようになりました

私が初めて手掛けた炭平コーポレーションの女子服の1点
私が初めて手掛けた炭平コーポレーションの女子服の1点

 その結果、さまざまな資格や修了証を取得し、色彩コンサルティングを行う米国のライセンスもいただくことで、長野初のカラーアナリストとして活動を始めていきました。


 当時コンテストで賞を取り取材を受けていた私は、いつしか「ファッションやカラーの専門家」としてマスメディアに出演し、企業や団体から講演にお呼びいただくことも増えていきました。講演でお話しする内容は、人の第一印象は5秒から30秒で決まり、その要因に「色」が大きく影響していること、あるいは「色」はコミュニケーションを生むツールともなることなど、すぐにでも活用できる「色彩利用術」が主でした。


 時は折しもバブル経済の影響を受けたいわゆるCI(コーポレートアイデンティティー)ブーム。多くの企業がイメージアップのためにCI導入を進めていた時期です。当時はまだカラーがイメージを変える最短のツールであることを話す専門家がいなかった中で、ある日、テレビ局の番組審議会などでご一緒だった炭平コーポレーションの鷲沢正一社長(当時)から「女性職員の新しいユニフォームを考えているのだけれど、デザインできますか」とご依頼いただいたのです。コンテストを通じデザインは得意としてきたものの、ユニフォームの制作は初めて。この責任ある仕事に不安はありましたが、依頼してくださったことがうれしく、私は「はい、やってみます」とお引き受けしたことを覚えています。


 CIを背景としたユニフォーム制作は、企業が持つ理念や、今後どのようなイメージを打ち出していきたいかなど企業の皆さんへのインタビューから始まります。そして時には社内にユニフォーム委員会をつくり、みんなの希望を吸い上げた後、何点かのデザイン画を描いて提案。方向性を絞り込み、その後実物サンプルを制作し、試着や機能的なチェックを重ねるなど何カ月もかけて一緒につくりあげるプロセスを踏んでいきます。


 その中で最も神経を使っていたのは、任されたユニフォームが企業のイメージアップにつながることはもちろん、着用してくださる社員の皆さんが数年間、毎日このユニフォームに腕を通すのですから、着心地も良く、気持ち的にもモチベーションが上がることを目指しました。最終的に納品に至った時に皆さんが喜んでくださったのは、心よりうれしく、やりがいを感じた瞬間でした。


 そんなことをきっかけに1989年、私(当時31歳)は、有限会社の個人事務所「カラーオフィスBi(ビー)」を設立。【カラーを通じてもっと人をBestに輝かせる】をコンセプトに、ここから本格的に教員と起業家の二足の草鞋(わらじ)を履いて歩むことになったのです。

(聞き書き・中村英美)


2025年3月22日号掲載

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