09 長男と次男が生まれ

子育てと仕事で忙しい妻 ペンションの売却を約束

まゆみさん(左)の横浜の実家で、長男の良太(1歳半)と私

 結婚の翌年、1977年に長男が生まれました。まゆみさんは子育てをしながら、料理、掃除、ベッドメーキングなどペンションの仕事で休む暇もありませんでした。

 長男は生後9カ月の時に病気で1週間以上、中野市の県厚生連北信総合病院に入院しました。ペンションが忙しくてまゆみさんは付き添ってあげられず、横浜の実家からお母さんが来てくれました。退院後もしばらく実家に預かってもらうことになり、まゆみさんは母親としてつらかったと思います。忙し過ぎて家庭というものがない生活で、妻を思いやる気持ち、配慮が足りませんでした。ペンションをやめたいという気持ちを募らせていったまゆみさんの気持ちを、申し訳ないことに、当時は察知することができませんでした。長男が戻ってきてからも、変わらず忙しい毎日は続きました。

 その後何かの取材への対応で、まゆみさんと一緒にスキー場に滑りに行くことがありました。子育てとペンションの仕事で忙しいまゆみさんにとっては久しぶりのスキー。ぎこちなく滑る様子を見て、私は深く考えもせず冗談のつもりで「下手だな」というような言葉をかけてしまいました。

 この、私の不用意な言葉で傷つけてしまいました。まゆみさんは先にペンションに戻ったのですが、私が帰ったときにはもう姿はなく、長男を連れて実家に行った後でした。びっくりしてすぐに横浜の実家に電話し、「できるだけ早く迎えに行きます」とご両親におわびしました。

 実家に行って話し合いをし、初めて「私はペンションの飯炊き女じゃない。ペンションをやめないなら離婚したい」と言われました。まゆみさんが悲しくなるのも当然です。自分がプロポーズをしたにもかかわらず、幸せにできていませんでした。「ペンションは必ずやめるので、我慢していったんは戻ってきてほしい。何の仕事をするかはわからないが、ペンションは必ず売却する」と約束しました。

 私の言葉を信じて、1カ月ほどで戻ってきてくれて、またペンションを手伝ってくれました。サラリーマンになるのか、何か事業を始めるのか、先のことを真剣に考えるきっかけになりました。とにかく何かで生き延びていこうと考えていました。

 その後、長男と二つ違いで次男が生まれました。夫婦で力を合わせてペンションをやりつつ、「斑尾にいてできることは何でもやってみよう」と始めたのが、レンタルスキーの仕事、スポーツ用品の販売でした。当時、東京の「秀山荘」というスキーや登山用品を扱う有名店が、志賀高原でレンタルスキーもやっていたので、社長さんにお願いして、レンタルスキーのセットをペンションに置かせてもらいました。大学2年の時、社長のご長男の家庭教師を住み込みでやっていたご縁で親しかったので、お願いしやすかったのです。

 斑尾のホテルやペンションと契約して、お客さんからレンタルの注文が入ると、スキーのセットを持っていきました。スキーウエア、ゴーグル、スキーを預かって委託販売もしました。割と忙しく、それなりの収入にはなりましたが、冬期の3カ月だけのビジネスなので、事業として大きくするまでには至りませんでした。

 夏期のオフシーズンは、各家庭に訪問販売をして、歩合制で図書や教材のセールスもしました。なかなか売れず、自分には合わないと感じて、1、2カ月でやめてしまいました。

 一日も早くペンションをやめられるように、しっかり生活の基盤を固めようと必死でした。

聞き書き・松井明子

2021年4月10日号掲載