09 美容学校入学

学ぶ楽しさ—充実の日々 トップの成績取れるまでに

美容学校時代の私(左)。着付けモデル(右)は同級生の男性

 1972(昭和47)年4月、東京・渋谷の「国際文化理容美容専門学校」進学のため、私は電車を乗り継いで一人で上京しました。親の反対に遭いながらも、自分の信念を押し通して実現した美容学校進学でしたが、この時は期待より不安や心細さが勝っていました。

 東京で銀行に勤めていた叔父が学校まで案内してくれるというので、渋谷駅前の忠犬ハチ公像前で会う約束をしました。叔父からは電話で「会えるかどうか心配だったらハチ公の上に登って待っていろ」と冗談を言われました。「いくら俺が田舎者でもそんなことができるわけがない」と思いましたが、行ってみると本当にハチ公の上に登っている人がいたのには驚きました。思い思いのファッションで闊歩する若者の姿に、都会の自由な空気を感じました。「なんでもありの世界だな。面白いことがありそうだ」。いつの間にか愉快な気持ちになっていました

 予感は当たりました。美容学校での1年間は私にとって忘れられない充実した日々でした。200人ほどの生徒のうち男性は60人くらい。美容師を目指す男性が大勢いることに、刺激を受けました。

 学校に隣接した寮が生活の場でした。寮といっても2階建てのプレハブの、裸電球がぶら下がる六畳一間に、男6人が押し入れを寝床にして暮らしました。遊びに行くお金もなく、学校と寮を往復する毎日でした。

 授業は、ヘアカッティング、パーマ、着付けなどの美容理容技術を学ぶ「実習」と、公衆衛生学や皮膚学、薬事法などを学ぶ「学科」がありました。

 私は高校卒業まで、勉強の目的が分からず、真面目に机に向かった記憶がありません。しかし、この時の私には「絶対に美容師になる」という明確な目標があったので、実習も学科も全力で取り組みました。

 勉強すればしただけ結果が出ました。成績で褒められたことなど一度もなかったのに上位の成績を取ることができて、初めて成績で評価されるという経験をしたのです。「何をやってもだめだったけど、この世界ならやれるんじゃないか」。そんな自信が生まれ、さらに勉強に力が入りました。

 私のやる気をさらに引き出してくれたのが、寮で同室の年上のAさんでした。北海道大学を卒業後、美容師を目指して入学した異色の経歴で、学科はもちろん、学内の技術コンテストでも常にトップクラスでした。私はAさんを目標にしました。

 寮の1階にはトレーニングルームがあり、寮生は夕食後に毎晩、「ウイッグ」と呼ばれるマネキンの頭を使ってパーマやセットの練習をしていました。

 23時消灯でしたが、私はAさんや同室者が寝た後も一人きりのトレーニングルームで毎晩1時間半ほどさらに練習しました。「同じ練習量ではAさんには追いつけない」と考えたからです。勝手に明かりをつけて練習しているのを寮の先生に見つかったこともありましたが、見逃してくれました。

 夜中にロッド巻きをしたウイッグを翌朝、校長室に持ち込み、直接指導を乞いました。学科、技術共にトップの成績を取れるようになりました。

 短い睡眠時間もまったく平気でした。毎日新しい技術や知識を学べることが楽しくて仕方なく、無心に打ち込めることに震えるほどの喜びを感じていました。

 自分に自信が持てずにいた私は、もうどこかに消えていました。まるで新しい世界に生まれ変わったような気持ちでした。

 聞き書き・村沢由佳


2021年11月6日号掲載