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08 双子の息子

日々の成長を楽しく見る 発育状況はっきりと違い

子どもたちの2歳の誕生日を祝う=松戸市の公団住宅

 1979(昭和54)年、私たち夫婦に双子の息子が生まれました。当時住んでいたのは千葉県松戸市の公団住宅。6畳、4畳半、3畳の和室とダイニングキッチンという間取りでした。

 家が仕事場だった私は、子どものおむつを替え、お風呂にも入れていました。そうしたことをする父親は当時少なかったと思います。私としては仕事の気分転換になり、子どもたちが日々成長していく姿を見られるのは楽しかった。

 一方、子どもは一人が風邪をひくと、もう一人にも感染しやすく、体調の悪い子どもは泣いてばかり。抱っこする時間が長くなり妻は寝不足になりがちです。そんなときは私が代わりに抱っこしました。

 双子は顔も体もそっくりと思われがちですが、息子たちは発育状況にはっきりとした違いが現れました。長男は発育が遅く、身長こそ次男とそう変わりませんでしたが、体重はだいぶ軽く細身でした。次男は母乳も粉ミルクも飲むのに対して、長男は母乳しか飲みませんでした。

 ハイハイができるようになったのも、歩けるようになったのも次男が先でした。次男は長男より早く好きなおもちゃを取っては遊んでいました。長男がとても悔しそうに泣いていたのを覚えています。

 2人の発育がはっきり違い、当初はとても心配しましたが、医者の「心配はいらない」という言葉を私たち夫婦は信じて子どもの成長を見守りました。大きな病気をせずに育ってくれたのは本当に良かったです。

 子どもたちが4歳になる前、江戸川区葛西の2階建ての一戸建て賃貸住宅に引っ越しました。6畳の部屋が三つと6畳のダイニングキッチン。妻と子どもたちは1階の6畳の和室で寝て、深夜に仕事をする私は2階の6畳の和室を仕事部屋兼寝室にしていました。

 子どもたちと遊んでいると、近所の目が気になることもありました。近所の人にしてみれば「昼間から働きもしないで子どもと遊んで、何をしているのだろうか」とでも思ったでしょうか。しかし、次第に周囲の目も気にならなくなりました。

 子どもたちが小学校に上がってからは水泳と剣道を習わせました。水泳は水難事故に遭った時、自らの身を自ら守れるようにするためと、泳げないままだとコンプレックスを抱くと思ったからです。親同士の会話で「小学校の授業だけでなく、スイミングスクールに通わせた方が上達が早い」と聞き、私もそう思ったのです。

 剣道の先生は保護者の前では優しい様子でしたが、子どもの話を聞くと練習は厳しかったようです。

 当時、私はちばてつやさんの漫画「おれは鉄兵」が好きでした。主人公が剣道で勝利を重ねていく姿が面白く、子どもたちも一緒になって読んでいました。子どもたちは「どうすれば相手に勝てるか」を漫画から学んでいたのかもしれません。練習場所は警察の剣道場を使わせてもらい、試合がある時、会場の日本武道館まで警察署の本物の護送車で送ってもらっていました。子どもたちにとって楽しみの一つだったようです。

 小学5年生になると、家族でキャンプに行くようになりました。子どもたちは重いキャンプ道具を運び、大雨の中でもテントを張り、頼もしい一面を見せてくれました。小学校の卒業時には「もう子どもじゃないな」と思ったことを覚えています。ちなみに私たち家族がキャンプをするようになったのは、後に絵本「笹舟のカヌー」を一緒に出すことになる作家の野田知佑さんの影響によるものです。

 聞き書き・広石健悟


2024年9月7日号掲載

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