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06 ダイエー入社

活気があって忙しい毎日 売り場改革いろいろ提案

久世の営業マン時代の私

 大学を卒業して就職したのが大手スーパーの「ダイエー」です。

 ダイエー創業者の中内功さんの著書「流通革命」に感銘を受け、また父の経営する会社「久世」が食品を扱っていたことから流通に関心があり、成長する会社だと思って選びました。商社にも興味はありましたが、大学での成績が悪かったので自信がなく、ダイエーのような伸び盛りの会社なら入れてもらえるかもしれないと思って受けました。

 私は八王子の店舗に配属になり、食品売り場を希望しました。急成長中とあって寄せ集めの会社のようで、証券会社から個人的な株取引の電話がしょっちゅうかかってきて仕事も手につかないような先輩もいました。そうした先輩社員は信頼できませんでした。私の部下のベテランのパートさんたちは実務に長(た)けていて、いろいろ教えてもらいました。お菓子売り場を担当して商品によっては補充してもすぐなくなるような状況で、活気があって忙しい毎日。常に売り上げを求められました。

 一方で、在庫管理が良くなく、倉庫にはカビの生えた期限切れ商品がたくさんありました。主任から「何とかしてほしい」と言われ、全部仕分けしてメーカーに返品するとともに、受発注を厳格にして満杯だった在庫を8割減らしました。自分なりに考えてよくやりました。売り場改革をし、私がいろいろ提案するものだから、プライスカードを書くPOP室の担当者2人からは面倒がられていました。

 会社に勢いがあり、勉強になることも多かったのですが、忙し過ぎて、この会社で絶対出世するぞとは思えませんでした。自分の人生を考えると少し違うのかなという気持ちでした。

 食品売り場は次から次へと売れて仕事に追われていました。一方、ほかの売り場は割と余裕があって、ほかの売り場の人たちばかり昇進試験に受かり、やる気も下がり、入社1年で辞めました。

 ダイエーでの仕事の疲れが残っていましたが、父のことが好きで憧れていましたから、父の会社を手伝いたい気持ちがありました。父に「仕事を手伝いたい」と伝えると戸惑ったようでしたが受け入れてくれました。会社には一番上の兄がいたので、私が入ることに悩んだのかもしれません。

 当時は、自分が貢献して会社が発展したらそのまま居てもいいと思っていました。入社後、父から「同じ久世を名乗るのも何だから、別名を考えなさい」と言われて驚きましたが、「私のことを考えてのことだろう。父がそう言うなら何か考えよう」と思い、抵抗感はありませんでした。私が考えたのは明治維新で活躍した桂小五郎の名字を取り「桂良三」。名刺も作りました。

 どのくらい実力があるか見てみようと思ったのか、かわいい子には旅をさせよという感覚だったのか。どういう意図で別名を名乗らせたのか、生前の父に聞いたことはありませんでしたが、今、会うことができるなら、当時どういう気持ちだったのか聞いてみたい。

 それまで営業成績が振るわなかった浅草、日本橋、銀座エリアを任された私は、営業の開拓を一生懸命やり、1年ほどで社内の成績がナンバー1になりました。お得意先から「最近入った桂君はすごく良いね」と褒められたようです。父から直接は言われませんでしたが、後に母や妹から間接的に「(父が)喜んでいたよ」と聞きました。

 規模の小さな問屋だったので、父は人材集めに苦労しました。中卒や高卒で入社した若者を配達から営業に育てていました。苦労を間近で見て、父を助けたい気持ちが大きくなりました。

聞き書き・松井明子

2021年3月20日号掲載

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