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05 「ドレメ」 進学

デザイナー科含む3年間 一流を見て触れて成長

ファッション画の授業の後、教室に残ったクラスメートと私(左から2人目)
ファッション画の授業の後、教室に残ったクラスメートと私(左から2人目)

 デザイナーになりたいという小さい頃からの夢をかなえるために1977年、私は杉野学園ドレスメーカー女学院(東京都品川区)に進学します。通称「ドレメ」と呼ばれる、この学校は、大正から昭和にかけて活動したファッションデザイナー杉野芳子先生(1892〜1978年)により1926(大正15)年創設されました。


 まだ着物が主流だった当時、女性たちに洋裁技術を教えることで「女性の自立」の道を切り開いていった服飾教育のパイオニアとして、「杉野芳子」の名は日本のファッション史に刻まれています。


杉野芳子先生
杉野芳子先生

 私の母もドレメの12期生として杉野先生に学んだ一人です。杉野先生の教えはとても厳しく、「一流になるためには常に一流のものを見なさい」「人としての品性を大切になさい」と洋服作りを通して人間教育を徹底されたと聞いています。


 そうした教えを受けた卒業生たちの中には、認可を受けて、地元で系列校を開校する人も。ピーク時には全国に700校以上ありました(現在は約100校)。母が78年前に創設した岡学園もその一つです。


 私が進学した当時、本科(1年生)の私のクラスは60人(4クラス合計230人)。実技中心の授業で、洋服のパターンから始まって、ブラウス、スカート、ワンピース、ジャケット、コートと、徹底して基本的アイテムを縫う技術を順序立てて身に付けるものでした。師範科(2年生)では応用として、フォーマルなドレスや自由作品など、個性を生かす作品を制作しました。


 多くの学生は2年で卒業となりますが、デザイナーを目指す私はデザイナー科(3年生)へ進み、デザイン画を学びコンテストに挑戦し、センスを磨く授業が中心となりました。


 3年間の中で今でも忘れられない「ドレメイズム」を感じた指導の思い出があります。


 1年生の後期、「教生」と呼ばれる授業でのこと。2年生の先輩の指導を受けながら自分用のテーラードスーツを仕立て、制作途中に先生の仮縫いチェックを受けるため、私はスーツを着たまま自分の番が回ってくるのを待っていました。しかし、直立のまま長時間が過ぎ、疲れた私は、「座ってもよろしいですか」と先輩に尋ねました。すると、「座るとスーツにしわが入るのでチェックを受けるまでは立って待ってください」と先輩からの返事。この教生期間で3キロ痩せたことを思い出します。


 また、学園内では常に「一流のものを見なさい、触れなさい」と先生たちから教えられ、時には当時1冊5000円もするフランスのファッション雑誌「ロフィシェル」を購入し、色彩感覚やデザインなどのセンスを磨く授業を受けました。


 課題の洋服を縫う時には、生地屋を回り十数種類もの布サンプルを集め、必ず先生にチェックをしていただくのですが、「この布になさい」とお許しが出るのはいつもメーター単価1万円を超えるものばかり。仕送りの中でのやりくりはとても大変で、時には食費を切り詰めることもありましたが、「良質」のものに触れ、吸収していく自身の成長も感じていました。

(聞き書き・中村英美)


2025年2月15日号掲載

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