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04 浪人時代

美大は狭き門 ひたすらに 合格—ただただうれしく

浪人中、長野の自宅近くで。免許を持っていなかったが、いとこのバイクにまたがって写真に収まる私

 高校3年生に進級した頃に一念発起して美術大学進学を志し、毎日バスに乗って南千歳町にあった岡沢絵画研究所へ通った私でしたが、1年間で美大に合格できるレベルまでに達するのは難しく、受験した四つの美術大学すべて不合格という結果に終わりました。

 あまり自信がなかったので「当然だろうな」と思いました。当時は、美術大学に合格するまで2浪するのも普通と言われていたような時代でした。両親は受験に失敗した私をとがめることもなく、東京での浪人生活を許可してくれました。本当にうれしく思いました。東京の大学に通っていた兄と同じ部屋で生活することになりました。両親からすると、兄が私のそばに付いていてくれて安心できたのだと思います。

 予備校は代々木ゼミナール芸大受験科という、美大や芸大の受験コースに入りました。予備校で午前3時間、午後3時間の授業を受け、帰宅してからも絵を描くという受験勉強に専念しました。受験生は皆「どんぐりの背比べ」で、大した違いはないと思っていました。ほかの受験生と少しでも差をつけたくて、とにかくたくさんの絵を描くようにしていました。

 美大は定員に対して志願者が多く、非常に狭き門です。予備校では、私に面と向かって「(お前の絵は)下手くそ」などと嫌みを言ってくる人もいました。しかし、私はそうした予備校生を相手にせず、ただひたすら絵を描いて技術を磨くしかないと努力しました。

 浪人中も岡沢先生との交流は続いていました。夏休みなど長野に帰省した折には三輪にあったご自宅に遊びに行き、ご飯をごちそうになったものです。岡沢先生ご夫婦には子どもがいなくて、14歳ほど年下の私のことをとてもかわいがってくれました。私の父は寡黙で、遊んでもらったことはあまりなく、私は岡沢先生を父親のように慕っていました。岡沢先生は本当に温かい人でした。

 岡沢絵画研究所の生徒5、6人と一緒に志賀高原にある木戸池へ写生に連れていってもらったこともあります。この時は珍しく油絵を教えてもらい、東京での浪人生活と違いリフレッシュできました。木戸池で描いた絵はいまだに残っています。

 2年間の浪人生活の後、やっと多摩美術大学グラフィックデザイン科に合格できました。第1志望の大学は特に決めていなくて、とにかく美大に入りたい一心で勉強していました。「どこかに受かりたい」と神に祈るような気持ちで合格発表日が来るのを待っていたので、合格できた時はただただうれしかったことを覚えています。

 ただ当時、父の病状が芳しくなく、私はたびたび長野と東京を行き来していました。大学入学後の4月も長野の実家に帰らなくてはならず、授業科目などを決めるためのオリエンテーションを欠席せざるを得ませんでした。親しい友達をつくるきっかけも失ってしまいました。

 6月、父が亡くなりました。膵臓炎と診断されていましたが、それは誤診で実は膵臓がんだと分かりました。医師は誤診だったことを母に謝りましたが、父が戻ってくるわけではなく、将来のことを考えると不安ばかりで気持ちも落ち込みました。

 大学の授業に出る気力が沸かず、大学生活で分からないことをすぐに聞けるような友人もいませんでした。私はふさぎ込み、学校に行かなくなってしまいました。兄から「お前、学校に行っていないようだな」と言われ、焦る気持ちばかりが大きくなっていました。

 聞き書き・広石健悟


◆木曽町で藤岡牧夫さんの絵本原画展

 藤岡牧夫さんの絵本「森のくまさん木曽物語」の原画12点を展示する個展が9月3日(火)まで、木曽町の木曽おもちゃ美術館で開かれています。

 開館は10時から16時。8月31日(土)までの夏休み期間はホームページから要予約。入館料は中学生以上800円、1歳〜小学生600円。8月4日(日)は朗読会とコンサート、サイン会あり。期間中の休館は8月7日、21日、28日の(水)と20日(火)。

 (問)同美術館☎︎0264・27・1011、(メール)info@kiso-toymuseum.com


2024年8月3日号掲載

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