06 荒れた高校生活

うっぷんや劣等感大爆発 心の隅に「親に申し訳ない」

高校3年の秋ごろ、奈良・京都への修学旅行で

 高校受験で公立高校に不合格となった私は、2次募集で合格した長野中央高校(現・日大長野高)に進みました。しかし、受験に失敗した時、あれほど「自分を変えたい」と願ったのに、どうやって変わればいいのか分からないまま、時間は過ぎていきました。

 高校も野球部に入部しました。練習は厳しい上、先輩たちのしごきもあって、2カ月で1年生の半数が耐えかねて退部しましたが、私は続けました。しごきは、無意味で理不尽に思いましたが、自分の心と体を痛めつけることで、受験に失敗して落ち込んだ気持ちをまひさせることができたからです。

 しかし、2年生に進級する直前に退部しました。新入生にしごきをするのが2年生の「役割」だと知り、自分にしごきはできないと思ったからです。

 無駄に時間ができると、ろくなことはありません。「勉強も野球もだめだけど、着るものならば」と、おしゃれに目覚めました。当時、権堂に流行の服をそろえた「エース」というブティックがあり、そこで買った赤いマンボズボンとピンクのシャツがお気に入りでした。学校が終わると私服に着替え、長野の街中を歩くのが楽しみになりました。

 「人より目立ちたい」という思いは、服装にとどまらなくなり、派手な仲間とつるむようになりました。長野駅前の喫茶店にたむろしてコーヒーを飲むことから始まり、他校の生徒とのけんかもありました。いつの間にか、バイクを乗り回す「暴走族」のようなグループの仲間になっていました。

 「家は貧しかったが、末っ子で家族から愛情をかけて育ててもらったのに、なぜあんなにひねくれてしまったのだろうか」。今もって自分でもはっきりした理由は分かりません。負けず嫌いなのに人より秀でた点は何もない。そんな自分に対する、たまりにたまったうっぷんや劣等感が大爆発した時期だったのかもしれません。 

 ただ、悪さを繰り返しながらも常に心の隅には「こんなことをやっていていいのか」「一生懸命働いてくれている親に申し訳ない」という思いがありました。そんな時、グループを抜けようと思うきっかけとなる出来事が重なりました。

 一つめは、長野市郊外でバイクに乗っていた仲間がコーナーを曲がり切れず私の目の前で事故死したことです。二つめは、小学校時代からの友人から受けた、みぞおちへの強烈な一撃でした。私の乱れた生活を見かねた友人は、「弱いやつほど強がる。もうやめろ」と本気で怒ってくれました。その一発で、ハッと目が覚めました。

 私がグループを抜けようとしていることを知った仲間が「落とし前をつけろ」と、チンピラ風の大人を連れて自宅まで来たこともありました。怖くて家の奥に隠れていた私に代わって応対した父が、「もう勘弁してやってくれ」と頭を下げてくれました。

 「こんなことを続けていてはいけない」と、心を入れ替える決意をしました。けじめとして、自分がかつて危害を加えた人に謝罪に行きました。相手からめった打ちにされましたが、それで終わりました。

 傷つけたり傷つけられたり。思い出したくない苦い経験をたくさんしました。類は友を呼ぶ。そして、やったら必ずやり返される。そんなことを文字通り、身をもって学びました。

聞き書き・村沢由佳


2021年10月16日号掲載