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夏のもんぜん彫刻採集

作品のエピソードをたどる

水内大社本殿横にある明治天皇行幸碑

 8月の「ながの門前まち歩き」は、美術家で長野美術専門学校(中御所)の副校長松本直樹さん(41)が、野外彫刻をテーマに作品の背景などを交えながら案内した。

 まず仁王門の(阿)(あ)(吽)(うん)形像、山門前の六地蔵を巡り、県立美術館(箱清水)に屋外展示されている(中)(なか)(谷)(や)(芙)(ふ)(二)(じ)(子)(こ)さん(1933年〜)の「霧の彫刻」へ。特殊なノズルから水を噴出させて人工的な「霧」を大量に発生させる「彫刻」作品。風の流れで変化する霧の造形を楽しめる。あいにくこの日は休館日で「霧の彫刻」を眺めることはできなかった。松本さんは、中谷さんが60年代に米国でさまざまなアーティストやエンジニアと関わり、霧の芸術を確立したことを説明した。

 続いて同美術館の裏手にある裸婦の銅像「転生」へ。82(昭和57)年の長野市野外彫刻賞受賞作で、作者は菊池一雄(1908〜85年)。松本さんは、戦後の日本に野外裸婦彫刻が見られるようになった背景へと話を広げていった。

県立美術館裏にある菊池一雄作「転生」の前で、日本の野外裸婦彫刻のエピソードを話す松本さん

 菊池の代表作の一つが、東京都千代田区の三宅坂に設置された「平和の群像」。かつてそこには明治・大正期の軍人で、総理大臣も務めた寺内(正)(まさ)(毅)(たけ)の馬上像があった。しかし、太平洋戦争中の金属供出により撤去。戦後の1951(昭和26)年、台座を利用して作られたのが、3体の裸婦像で構成する同作だった。日本電報通信社(現電通)が広告功労者を顕彰するために設置したもので、公共の野外で初の裸婦像といわれている。

 次に向かったのは、(健)(たけ)(御)(み)(名)(な)(方)(かた)(富)(とみの)(命)(みこと)(彦)(ひこ)(神)(かみ)(別)(わけ)神社(水内大社・県社)本殿の東。突然現れた巨大な碑に驚いた。台座も合わせて高さ6メートルはありそうな碑には「明治天皇(駐)(ちゅう)(蹕)(ひつ)之処」とある。彫刻作品ではないが、松本さんは「著名な建築家が作ったモニュメント」として紹介した。

 作者の伊東忠太(1867〜1954年)は、東京都の築地本願寺などアジア的な異国情緒あふれる建築を数多く設計した。明治天皇は、1878(明治11)年、この地を行幸した際、ここから善光寺平を眺め、花火を楽しんだという。初めて碑を目にしたという参加者は、碑のスケールの大きさに驚いた様子だった。

 最後に横沢町の喫茶店「Sirafu(しらふ)」へ。松本さんが用意したプロジェクターで、参加者らは、世界各地で展示された中谷さんの霧の彫刻の映像を鑑賞した。

 野外彫刻を多く目にする長野市。現在、約160作品が市内に点在しているそうだ。それぞれの作品のエピソードや背景を知ると、違った見え方がすると実感したまち歩きだった。

 記事・森山広之


2023年9月2日号掲載

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