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26 信州大学退職後
「ライチョウ保護」本格的に 調査・研究への熱意 今も 高円宮妃久子殿下とは、もう25年以上のお付き合いになります。きっかけは、1998年に開催された長野冬季五輪。ご一家で競技を観戦に来られた際に、川中島古戦場にある市立博物館をご訪問されました。そこで私が、まだ幼かった3人の...
25 国際ライチョウシンポ
世界の研究者 松本に集う 北アで野外観察会も実施 日本鳥学会の会長を務めていた時、国際鳥学会の日本招致活動と並行し、ライチョウの国際会議の日本への招致も進めました。 世界にはライチョウ類の研究者が300人ほどいて、3年に1度国際ライチョウシンポジウムが開催されます。私が...
24 日本鳥学会の会長に
学会100周年事業に着手国際鳥学会の誘致に奔走 私は、2002年から日本鳥学会の副会長を務め、06年、第14代会長に選ばれました。それから2期4年間、会長を務めました。 日本鳥学会が12年に創立100周年を迎えるのに向けて、会長の私は主に三つのことに着手しました。...
23 ライチョウ研究の再開
22年前より縄張り数激減 このままでは絶滅—実感 50歳を過ぎ、「サイエンス」「ネイチャー」といった世界的権威のある科学誌に相次いでカッコウの論文を発表し、世界最先端の研究を極めることができたと実感しました。前だけを見て走り続けて、ここでようやく過去を振り返る気持ちの余裕が...
22 米英の科学誌に論文発表
卵擬態の進化の仕組み調査 100年に及ぶ謎を解明 カッコウの托卵(たくらん)習性は、紀元前のアリストテレスの時代、日本では平安時代頃から書物に登場するなど知られていました。科学的な研究は、1892年に発表されたE・バルダムスとО・レイの研究が最初とされています。...
21 ケンブリッジ大学
研究者へのサポート体制 日本の大学との差を痛感 1994年、私は文部省(現・文部科学省)の長期在外研究員として外国に派遣されることになり、家族4人で1年近く、海外で過ごしました。 この年のカッコウの調査をほぼ終えた7月13日、まずカナダのバンクーバーにあるブリティッシュコロ...
20 京都で初の国際会議
托卵鳥の研究者 世界から 活発な議論繰り広げられ 1991年8月、日本で初となる「国際動物行動学会」が京都で開催されました。私は、実行委員長の京都大学日高敏隆先生から、ラウンドテーブル(円卓会議)とサテライトミーティング(サブ会議)の企画を頼まれていました。...
19 カッコウ研究の国際化
テルアビブ大教授が来日 共同研究など交流盛んに 千曲川の調査地でカッコウは、オオヨシキリ、モズ、オナガの3種に托卵(たくらん)していました。調査では、これらの鳥の巣をすべて見つけて、托卵されたカッコウの卵の重さ、大きさ(長径・短径)を測定し、写真を撮ります。雌により卵の大き...
18 カッコウの複雑な繁殖生態
個体ごとの行動徹底調査 世界初の解明につながる 1986(昭和61)年、私は信大教育学部助教授になり、カッコウの托卵研究が本格的に始まりました。私が最初に解明したかったのは、カッコウは縄張りを持っているのか、カッコウにつがい関係はあるのか—の2点です。...
17 カッコウの研究開始
効率的な捕獲方法を確立 発信機による行動追跡調査 私の次の研究テーマであるカッコウの研究は、調査時期がライチョウと重なることに悩みながらも、信大に赴任の翌年から開始しました。 最初に調査地として選んだのが、志賀高原の北にあるカヤノ平でした。大学の「カヤノ平ブナ原生林教育園」...
16 ライチョウ調査
山で縄張りを数えるだけ 当時は研究の意欲湧かず 信州大学に赴任した翌年の1981(昭和56)年6月、ライチョウ調査が始まりました。最初の調査地は南アルプスの白根三山でした。参加したのは、私と研究生の小岩井さん、学生2人の計4人。小岩井さんは、筑波大学の山岳部出身で、卒業後、...
15 助手の試練
恩師の「処世術」に違和感 学内の人間関係煩わしく 助手として羽田先生の仕事を手伝うとともに、私は羽田先生から信州大学での「処世術」も教え込まれました。 8月に助手就任早々、理科の先生一人一人に手土産を持参してあいさつに行くように言われました。先生ごとに手土産の値段や好きな品...
14 信大に赴任
多くの仕事 家計も厳しく 学生の助けや実家の援助 1980(昭和55)年8月1日、信州大学に赴任早々、羽田先生から壮大なライチョウ調査計画を聞きましたが、実際の調査は翌年の6月からでした。その前に、羽田先生から私にしてほしいと依頼されたさまざまな仕事がありました。...
13 恩師からの誘い
ライチョウ調査を手伝う 回ってきた助手のポスト 京都大学大学院で学位論文をまとめていた頃、研究室で雑談をしていると、信州大学の恩師・羽田先生から電話がありました。「6月下旬に3日間ライチョウ調査をするので手伝ってほしい」という内容の短い電話でした。京都に来てから私が羽田先生...
12 理学博士の学位
研究と育児の両立忙しく 5年間の研究成果論文に 結婚して2年目、私たち夫婦に子ども(長女)が生まれ、生活は一変しました。私は、これまでのように全国各地に調査に出かけ長期間家を留守にすることができなくなりました。 当時、私はまだ学生だったので、働いている妻が世帯主、私は扶養家...
11 「渡り」の解明
カワラヒワの「大きさ」注目 「おとり無双」「ブリ縄」駆使 カワラヒワは、北で繁殖する集団ほど体が大きいという「地理的変異」を発見した後、同じく体の大きさに注目した研究で、この鳥の「渡り」の問題も解明できました。 北海道以北で繁殖する集団は冬に南に渡ります。山階鳥類研究所にあ...
10 博士課程の研究
調査地を全国に広げて 独自の着眼点で新発見 京大の大学院でカワラヒワの調査を始めて、長野と京都では異なる点が幾つか見えてきました。一つは繁殖環境の違いです。つがいができる時期は、長野では春先、京都では秋の終わりでした。また、京都で繁殖するカワラヒワは長野の個体に比べて体がや...
09 私の研究スタイル
放任主義の考えに違和感 「動物的な直観力」の研究者 京都大学で初めて厳しい論文指導を受け、私は日本語の書き方をはじめ、論文の書き方を一から学ぶことになりました。論文で大切なのは、発見した事実や解明したこと自体ではなく、それが学問や社会にどのような意味を持っているのか(New...
08 結婚した頃
京都での研究が本格化 未発表の研究を論文に 結婚を契機に私の生活は大きく変わりました。修士課程の2年間は啓光学園で生物の非常勤講師をしていていたほか、2年目からは大阪にある夕陽丘予備校で生物を教えるアルバイトもしていました。...
07 京大大学院合格
カワラヒワの調査地を探す 大学院の2年目で結婚 大学院合格を目指した「受験勉強」の2年間は、カワラヒワの研究には全く手を付けませんでした。我慢に我慢を重ねただけに、晴れて院生となり、研究に取り組めるようになった私は、まさに「水を得た魚」でした。研究再開にあたり、まず京都での...
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