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28 世界に誇れる場所
官民に素晴らしい人材 本当の「成功」「幸せ」心の中に 1990年ごろ、英国王立園芸協会が運営する庭園「ウィズリーガーデン」から三水村(現飯綱町)に英国産のリンゴの苗木17種が贈られ、植樹祭を行いました。私の友人を介して園芸協会の責任者と、三水村長名で直接手紙のやり取りをして...


27 経営の世代交代
3年前、手術をきっかけに 新社長の成長たくましく 2018年3月、頸椎の手術を京都の病院で受けました。 大学2年の時、スキーの大会前日の練習中に転倒。首を骨折し2カ月間入院する大けがをしました。その「古傷」の痛みが年とともにだんだん増してきて病院で診てもらったところ、医師か...


26 米国法人の設立
米国人向けに商品を開発 日本の素晴らしさを伝える 2017年4月、米国オレゴン州の食品加工工場を取得し、サンクゼールの米国法人「St.Cousair,Inc」を設立しました。社長は次男の直樹が務めています。 米国進出の1年半ほど前から、直樹は妻のミンツーさんとサンフランシス...


25 サンクゼールの森
信濃町に敷地11万平方メートル 自然と共存して企業活動 リンゴの産地フランスのノルマンディー地方を訪れて以来、ずっと憧れていたカルバドス(アップルブランデー)を初蒸留した記念に、C・W・ニコルさん(右)と乾杯する私 飯綱町に本社を構えてから20年以上がたち、事務所が手狭にな...


24 久世福商店
和の食文化のブランドを 心に浮かんだ父創業の店 中国から事業を完全撤退した約1年後の2013年12月、久世福商店1号店をイオンモール幕張新都心(千葉県)にオープンしました。久世福商店は、サンクゼールのスタッフが訪ね歩いて交渉した日本各地のメーカーのだしや調味料、菓子などをシ...


23 中国で事業投資
「対等な仕事を」理解されず 経営理念守り撤退決める 2009年ごろ、中国からの留学生シェイピンさんと出会いました。シェイピンさんの親族は、上海の南にある都市・寧波(ニンポー)で食品工場を経営していました。シェイピンさんとの出会いを機に、かねてから発展ぶりに注目していた中国で...


小林フィデアさん
母国に孤児院建設目指す 心揺さぶられ個人で献金 タンザニア出身の小林フィデアさんがわが社に入社したのは、もう20年以上前になります。一度は面接で不採用になったのですが、まゆみさんの友人からの紹介があり、私が直接お会いすることにしました。...


21 息子2人が入社
米国の次男に「力を貸して」 長男は経理・資金繰り担当 サンクゼールチャペルが完成した2005年、社名を斑尾高原農場からサンクゼールに変更しました。 「サンクゼール」の名は当初、1989年にオープンしたレストランに付けました。旧三水村の誘致が決まり準備をしていた頃、いろいろな...


20 経営理念
ベースは聖書のみことば 全員参加でチャペル建設 例年、年末休みに入る前にスタッフと共に「仕事納め式」を行っています。2001年12月、仕事納め式の最後に、まゆみさんが「会社がますます繁栄しますように、皆さんの健康が守られますように、家族が祝福されますように」と、初めてスタッ...


19 佐藤さん夫妻
ナパでワイナリーを経営 わが社を応援 出資受ける 1997年にオリンピックジャムの限定販売、1999年オープンの「サンクゼール・ワイナリー」軽井沢店(2020年に閉店)が成功し、経営が上向きになりました。 同じ頃、次男の直樹はアメリカに留学していました。高校3年のときに進路...


18 軽井沢に出店
ナパバレーにあるような ワイナリーショップを サンクゼールは1997年、長野冬季オリンピックのライセンスを取得し、ロゴマーク入りの特別製造ジャム5種(りんご、ブルーベリー、ラズベリー、くるみ、ハーブミックス)を限定販売しました。百貨店のギフトコーナーなど、全国さまざまな店の...


17 リーダー観
一人で悩まず窮状を話す 頑張ってくれたスタッフ 聖書のみことばが私を変え、教会で癒やされる経験をして、まゆみさんに続き私も1993年に洗礼を受けました。それまでは努力して戦って勝ち取る人生で、常に頑張ってきました。しかし、弱いままでいい、頑張らなくてもいい、ありのままの自分...


16 信仰
聖書の みことば深く心に 落ち込んだ私 励まされる 資金を貸してもらえなくなればすぐに倒産という緊張感の中で、私は銀行の担当者に何回も再建計画の説明をしました。そして、だんだんと追い詰められた気持ちになっていきました。 結果が伴わないと、「自分が間違っていたのではないか」と...


15 ビジョンと衝動
新規事業に多額の投資 本当の怖さ分からず 自社農園「大入葡萄(おおいりぶどう)園」で収穫したワイン用ブドウ「シャルドネ」。悩んだ時はブドウ畑や隣接の森をよく散歩していた 1988年、フード工場が完成し、念願のジャムの自社生産がスタートしました。当初は工場の2階に小さなアンテ...


14 スタッフとの対話
一方的に夢を語った私 反省しつつ共に前進へ 1986(昭和61)年、三水村(現飯綱町)の村制100周年記念事業として、斑尾高原農場の誘致が決まりました。私が36歳の時で、スタッフは25人くらいになっていました。朝礼で毎日のように会社の夢を語り、スタッフは黙って聞いてくれてい...


13 構想実現へ土地探し
旧三水村に形の良い丘 インスピレーション湧く 私は昔からスケッチが好きで、フランスへの新婚旅行前からリンゴ畑やジャムの加工所を想像して描いていました。旅行から帰ってきてからは撮ってきた写真を参考に、自分なりに図面におこしていきました。...


12 仏に夫婦で旅行
今後の事業のヒント探し 景色・暮らし・食生活に感銘 「斑尾高原農場」というブランド名は、農場と工場があり、商品は自社工場で作っていると思われがちで、「農場や工場を見に行きたい」と言われることが増えたものの、実体はなかったので悩みました。お客さまの期待に応えられていないのでは...


11 長野市に転居
株式会社「斑尾高原農場」に 真剣に「どう成長させるか」 ジャムはどんどん売れるようになり、軽井沢に毎日行かなくてはならないほど忙しくなりましたが、製品を配達するのは私一人だけでした。そんな日々に限界を感じていた時、メーカー兼問屋の「荻原製菓」(信濃町柏原)の20歳の青年だっ...


10 斑尾高原農場
りんごジャムを商品化 志賀や軽井沢へセール ペンションをやめて生活をしていけるようにと、レンタルスキーや図書のセールスと同時並行でいろいろなことを模索していました。 ペンションでは、妻のまゆみさん手作りのりんごジャムをお客さまの朝食に出し、お帰りのときに、お土産に差し上げ...


09 長男と次男が生まれ
子育てと仕事で忙しい妻 ペンションの売却を約束 結婚の翌年、1977年に長男が生まれました。まゆみさんは子育てをしながら、料理、掃除、ベッドメーキングなどペンションの仕事で休む暇もありませんでした。 長男は生後9カ月の時に病気で1週間以上、中野市の県厚生連北信総合病院に入院...
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