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138 ずくと知恵の遺産08 あしたに向けて
地域を育む人こそ遺産 信級小学校歌 浅井 洌作 その二 進み行く世におくれじと いとも広(ひろ)らにきずきたる 学びの庭の教草 栄えゆくこそ嬉(うれ)しけれ 日進月歩の世に遅れまいとする積極性、学ぶ営みへの熱い理想が、いまだ人を鼓舞する。「信濃の国」の作詞者、浅井洌の歌...
137 ずくと知恵の遺産07 絶頂から急下降
時代の荒波 情け容赦なく 信濃の国 四番 尋ねまほしき 園原や 旅のやどりの 寝覚の床 木曽の桟 かけし世も 心してゆけ 久米路橋 県歌「信濃の国」は軽快・勇壮な曲が4番で一転、情感豊かに変わる。そのまま久米路橋や姨捨山などの歌枕を登場させ、再び歯切れよく5番の〈旭将軍 ...
136 ずくと知恵の遺産06 養蚕の大規模化
ひたすら繭の増産に向け 総て皆 ベルトコンベアーに 運ばれし 桑も蚕も 生きてはたらく 唐木 衛 (信州新町公民館発行「養蚕の思い出」より) 〝養蚕工場〟うまれる本村(ほんそん)の機械化養蚕―。 大胆で先進的な試みを、こんな大見出しで晴れがましく伝えている。昭和42(196...
135 ずくと知恵の遺産05 農道の効用
省力養蚕が動き始める 文部省唱歌 川中島 千曲・犀川 二川(にせん)の間 甲越二軍の 戦場ここか 海津の城跡 僅かに残り 見渡す限り 桑畑しげる 明治45(1912)年制作文部省唱歌「川中島」の1番。尋常小学校第3学年用だ。千曲川と犀川の落ち合う川中島平、甲州武田と...
134 ずくと知恵の遺産04 農道の開拓
養蚕の近代化へ活路開く ガーデンの 音高らかに 繭出荷 老父は繭を 抱きて乗りゆく 小池孝子 (信州新町公民館発行「養蚕の思い出」より) 農道が開通するにつれ、傾斜のきつい山の集落にも、ガーデントラクターが走るようになった。それがどれほど山村の暮らしに心弾ませることであった...
133 ずくと知恵の遺産03 急傾斜に挑む
山には山なりのやり方が ぬれ土の 足にからむを 振り払い 傾斜の畑の 桑をかつぎぬ 下平睦子 (信州新町公民館発行「養蚕の思い出」より) 人の背を覆うほど伸びた桑の下はぬかるみやすい。泥に足を取られながら雨の日も、重い桑の束を背負って急坂を上り下りする苦労は想像を超える。...
132 ずくと知恵の遺産02 養蚕立国の夢
西山地域が果敢な挑戦 日本は 戦争に負けたが 元気出して蚕 飼おう 更級郡(信級)(のぶしな)村(現長野市信州新町)のお蚕先生 驚きと感動を覚えずにおれない。日本中が打ひしがれているさなか、新たな一歩へ踏み出す方向を指し示し、勇気を鼓舞する言葉が、語られていた。そのことに対...
131 ずくと知恵の遺産01 戦後の再出発
食糧難を救ったお蚕さん 配給の 小麦粉わづか もらひ来て 雑炊造りて すする日々なり 根岸 茂 食ふ草よ 草よ草よと 誰も皆 花見にと来て 草を摘むなり 山田尚(ひさ)子 (昭和万葉集より) 戦争が終わり空襲の恐怖から解放されると、今度は空腹の脅威にさらされた。戦時下でも迫...
130 信州シルクロード22 石炭の道
西条から岡谷の製糸場へ 中央線鉄道唱歌 福山寿久作詞 福井直秋作曲 46 山また山を 貫きて 出づれば「西条」停車場 「麻績」の駅を 過ぎてまた トンネルくぐる冠着山 繭から生糸を器械で作る製糸業では、動力源の燃料確保が必要不可欠だった。明治の初め製糸場の規模が小さな段階で...
129 信州シルクロード21 安曇野の信濃鉄道
製糸の片倉が推進役担う 北安曇郡歌 町村数は 十七の 中にも池田 大町は 郡内百貨の 輻湊地 五穀 蚕業 麻 煙草 造林 開墾 年々に 輸出の額も いと多し かつての塩の道に沿ってJR大糸線は、北アルプスの玄関口松本と信州に一番近い海の町・糸魚川を結ぶ。中央本線・篠ノ井線を...
128 信州シルクロード20 上田の私鉄網
東西南北つなぐ充実路線 三里先きの 風呂に往て来ぬ 夏の月 伊藤松宇 前書きを読めば一句の意味が、なおはっきりする。〈丸子電鉄の上田市迄(まで)延長せしを祝して〉。身近な電車が、地域の代表的な街へつながることを喜んだ。3里約12キロ、少しばかり遠出し、風呂を浴びてきたという...
127 信州シルクロード19 私鉄の広がり
蚕糸業との関わり深く 真田城址の上田町 縞の産地の名残ぞや 千曲の流れ音たかく 汽笛のこゑにひゞきあひ 坂城の駅もいつしかに いくや屋代の停車場 「地理唱歌汽車の旅」第三集より 信越本線の駅名を織り込みつつ1900(明治33)年、地理の学習用に発行された。上野を出て線路伝い...
126 信州シルクロード18 村山橋を架ける
蚕糸業最盛期大きい期待 冬枯の 村の人びと 舟橋の 板はづし居(お)り 洪水(おおみず)の川に 島木赤彦 日本の代表的な大河、千曲川を渡るのは容易でなかった。両岸にロープを渡し、たぐって向こう岸へ舟を着ける。あるいは幾つもの舟をロープに留め、板を並べて橋にする。...
125 信州シルクロード17 長野電鉄河東線
蚕糸業の飛躍へ熱い願望 汽車ポッポ 富原 薫作詞 草川 信作曲 汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ 僕等をのせて シュッポ シュッポ シュッポッポ スピード感あふれるメロディーが、鉄道で活気づいた時代の勢いを今に伝える。長野市松代町の旧長野電鉄河東...
124 信州シルクロード16 飯田線
民間の熱意で徐々に前進 直ぐ来ると 言ひて電車に 乗りにしが 思へば人は 泣いてをりにき 青山 榛三郎(はんざぶろう) 見送りにきた親しい人が、ホームの陰で泣いている—。演歌の一場面でも想像させるかのような一首だ。 ここに登場する電車は今のJR飯田線。歌が詠まれた1917(...
123 信州シルクロード15 交通網の近代化
鉄路の力で製糸業全盛へ 汽車 文部省唱歌 今は山中 今は浜 今は鉄橋 渡るぞと 思う間もなく トンネルの 闇を通って 広野原 「汽車」が文部省唱歌として登場した1912(明治45)年の7月、年号が明治から大正に変わる。鉄道の歴史で見れば前年の明治44年、東京―名古屋間に中央...
122 信州シルクロード14 碓氷峠越え
製糸業隆盛の熱気弾みに 吾妻はやとし 日本武 嘆き給いし 碓氷山 穿つ隧道 二十六 夢にもこゆる 汽車の道 人の肩や馬の背、大八車などが頼りの道から汽車の道へ、大きな変革が訪れる。その最大級の一つが関東方面からの信州の入り口、碓氷峠に鉄道のトンネルが開いたことだ。...
121 信州シルクロード13 横浜開港以前
絹の道は京を目指し西へ みちのくの しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに 「百人一首」より 忍ぶ恋に心乱れる切なさを〈あなたのせいです〉と訴える。小倉百人一首の14番目。古今集が出典の河原(かわらの)左大臣の恋歌だ。...
120 信州シルクロード12 横浜港への道
甲州街道を八王子経由で 鉄道唱歌 大和田建樹補作 多 梅稚作曲 (五) 鶴見神奈川 あとにして ゆけば横浜 ステーション 湊を見れば 百舟(ももふね)の 煙は空を こがすまで 欧米列強の圧力に屈し、幕府が開港に踏み切った1859(安政6)年当時、横浜は戸数わずか100足...
119 信州シルクロード11 利根川の舟運
横浜港への大動脈として 上州小唄 野口雨情作詞 中山晋平作曲 (七) 桑にや川霧 桜にや日和 山には山霧 野にや<RUBY CHAR="雲雀","ひばり"> さアさ 二度摘み四度摘む桑の 摘めば緑の 芽ものびる 1929(昭和4)年にレコード発売された新民謡。世界に誇った日...
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