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私の歩み 藤岡牧夫さん
My history Fujioka makio
25 絵本「森のくまさん」
第5作 3月ごろ出版予定 力の限り描いていきたい 絵本を買ってくれた人のために絵本にサインをする私 木曽おもちゃ美術館は2022年11月、木曽町にオープンしたおもちゃをテーマにした施設です。美術館といっても実際におもちゃを手に取って遊べ、子どもたちにとても人気があります。...
24 上松小で出前授業
150人の全校児童と創作 自由な発想持ち続けよう 子どもたちが作った「木曽駒ケ岳のクリスマス」 2023年、上松町立上松小学校の150周年記念事業として行われた出前授業に出かけました。生まれてから4歳までいた上松町の小学校で、150人の全校児童に教えるというので感慨もひと...
23 役場庁舎に飾る
幼き日の思い出懐かしく 地域への貢献 私の誇り 大桑村役場で飾られている、夏の殿地区を描いた作品 2021年春、新築された上松町役場庁舎に、1メートル×60センチほどの私の絵が飾られました。同町の上松電子からの寄付をもとに同町が検討した結果でした。...
22 子ども忍者
鎌倉の古刹の絵に登場 10枚を納品 ご縁が広がる 長谷寺で開催された「豆まき」に参加した私 神奈川県鎌倉市にある長谷寺は奈良時代に開創された古刹です。その住職が奥さまと一緒に小布施町の「おぶせ藤岡牧夫美術館」を訪ねてきたのは2015年ごろでした。その時、私は不在でしたが、...
21 絵本「森のくまさん」
「千曲川源流」「木曽」の2編 楽曲化決まり作詞を担当 2015年12月に出版された絵本「森のくまさん」は、公益財団法人「長野県緑の基金」製作の「木が伝えてくれる物語」の6作目で、長野県の民話を基にした5作目までとは切り口を変えたいということで、私に声がかかりました。...
20 おぶせ藤岡牧夫美術館
2012年小布施町にオープン 来館者の声に励まされる 2012年3月、私の名前を冠した「おぶせ藤岡牧夫美術館」が小布施町にオープンしました。高山村との境に近い雁田山の麓の、周囲を緑に囲まれた所です。 絵本「ささ舟カヌー千曲川スケッチ」の展覧会を中野市で開いた際に、小布施...
19 カヌー仲間
ツアーを通じて知り合う 慈善活動でTシャツ作る 東日本大震災の翌日の2011年3月12日に発生した「長野県北部地震」で、栄村は大きな被害を受けました。1カ月ほどたった頃、カヌー仲間の一人が「栄村の支援のためにチャリティーTシャツを作りたい」といい、私は、Tシャツにプリント...
18 「千曲川スケッチ」出版
羽の上に野田さんと犬 千曲川を眺めながら着想 2011年2月、野田知佑さんとの共著「ささ舟カヌー 千曲川スケッチ」を出版しました。この絵本はささ舟カヌーシリーズの3作目で、野田さんの「3作目は藤岡さんの故郷である千曲川を取り上げましょう」という提案から実現しました。...
17 「イルカのトリトン」出版
想像を働かせ描いた絵と 子どもがわくわくする文 晴海で開催された展覧会であいさつする私 2004年秋、「イルカのトリトン」という絵本を出版しました。東京・晴海を舞台に、架空のイルカ「トリトン」が子どもたちを連れて海を旅して、やがて東京湾に戻って来るという物語です。この作品...
16 信毎夕刊で連載
緑豊かな信州の風景描き 約8年間 計138回続く 2002年10月から、信濃毎日新聞夕刊で私の連載「風に吹かれて」がスタートしました。見開き紙面の中央に、私の絵と小文を載せ、絵は、緑豊かな信州の自然の中で、小人たちが自由に遊んでいるメルヘンチックな絵柄にしました。...
15 生放送番組に出演
「川」をテーマに巨大な絵 川上村の小4生らと描く 2002年の秋、私は、長野朝日放送(ABN)の「みつめて!信州生テレビ」に出演しました。年1回の放送で毎回テーマが決まっている7、8時間の生放送の特別番組です。その年のテーマは「川」で、県内各地から中継がありました。...
14 四万十川へ取材旅行
川と共に楽しむ野田さん 「らしい」風景をカメラに 車窓から見た四万十川 1999年出版の「笹舟のカヌー」を良い出来栄えだと非常に喜んだ野田知佑さんから「すぐ2作目をつくりましょう」と声をかけてくれました。テーマは、野田さんが日本で一番好きな川である高知県の四万十川を下る旅...
13 「笹舟のカヌー」原画展
多くの来場者でにぎわい 野田さんの笑顔が印象的 原画展で「笹舟のカヌー」を手に持つ私 1999年4月、カヌーイスト野田知佑さんとの共著で絵本「笹舟のカヌー」が出版されました。 それからすぐ、「笹舟のカヌー」の原画を展示する個展を開催しました。...
12 「笹舟のカヌー」出版へ
単著の絵本出版は難しく 野田さんとの共著となる 1990年代半ば、カヌーイストで作家の野田知佑さんをモデルにした絵の評判を聞くために、絵を持って回っている中で、出版社の「セーラー出版(現・らんか社)」を紹介されました。早速訪ねると担当者が一晩預かることとなり、翌日「藤岡さ...
11 「笹舟のカヌー」の絵
3年かけて30点を完成 自然を背景に人は小さく カヌーで国内外の川を下る旅をしていた作家の野田知佑さんの生きざまに憧れ、野田さんをモデルにした絵を描こうと思い立った私。当時、野田さんのカヌー旅行の様子は専属カメラマンが撮った写真で伝えられていました。...
10 カヌーを始める
憧れの野田さんを描き 個展開く夢実現に向けて 1990年代初頭のバブル景気の崩壊は私にとっても人ごとではなく、仕事量は半分以下に落ち込んでしまいました。 当時、私は40歳を過ぎていました。イラストレーターの収入はどうにか生活できる程度。将来は暗く、展望を見いだすことはで...
09 野田知佑さんを知る
カヌーで旅する姿に憧れ 紀行文を読み疑似体験 私が作家の野田知佑さんに深く影響を受けるようになったきっかけは1989年、行きつけの書店でたまたま手にした「日本の川を旅する」というタイトルの野田さんのエッセー集です。 野田さんはカヌーで国内外の川を旅して、その様子を雑誌な...
08 双子の息子
日々の成長を楽しく見る 発育状況はっきりと違い 1979(昭和54)年、私たち夫婦に双子の息子が生まれました。当時住んでいたのは千葉県松戸市の公団住宅。6畳、4畳半、3畳の和室とダイニングキッチンという間取りでした。 家が仕事場だった私は、子どものおむつを替え、お風呂に...
07 岡沢先生
美術館での絵の見方学ぶ お客さん目線で作品見る 南千歳町にあった岡沢絵画研究所の岡沢先生には、美大を目指して通うようになった高校3年生の頃から大変お世話になり、よく面倒を見ていただきました。 先生の作風は、イラストレーターとなった私とはまったく異なり、ファインアートとい...
06 大学卒業直後に結婚
フリーランスに理解得る 下積み時代 信頼積み重ね 後に妻となる美鈴と出会ったのは、美大受験のために通っていた岡沢絵画研究所でした。私が吉田高校3年、彼女は長野西高の3年でした。お互いに知ってはいましたが、強く意識し合う間柄ではありませんでした。...
05 大学時代
3年生の時親友を亡くす 人生観変わり進路を決意 2年間の浪人生活の末、多摩美術大学に進学できたものの、父親の病気見舞いなどのため4月のオリエンテーション期間中に大学へ行かなかった私は、友達ができないままアパートに引きこもってばかりいました。鬱々として物事が手につかず、絵を...
04 浪人時代
美大は狭き門 ひたすらに 合格—ただただうれしく 高校3年生に進級した頃に一念発起して美術大学進学を志し、毎日バスに乗って南千歳町にあった岡沢絵画研究所へ通った私でしたが、1年間で美大に合格できるレベルまでに達するのは難しく、受験した四つの美術大学すべて不合格という結果に終...
03 中学・高校時代
美術教諭から褒められる 高3の春 美大進学を決意 1961(昭和36)年、私は柳町中学校に入学しました。当時、全生徒数2千人規模のマンモス校で、生徒は部活動を自由に選べませんでした。私は当時人気のバレーボール部に入りたかったのですが、思い通りにならず、バドミントン部でした...
02 小学校を3度転校
寂しかった友達との別れ 先生の影響で絵が面白く 私は1949(昭和24)年、父武夫(たけと)、母節子の次男として木曽の上松町で生まれました。七つ上に姉、三つ上に兄がおり、末っ子の私は大事に育てられました。 父は営林署に勤める国家公務員で転勤も多く、そのたびに家族で引っ越しま...
01 イラストレーター
美大卒業後フリーの道へ 軌道に乗るまで3年ほど 私は、美大を卒業して25歳の時にフリーのイラストレーターを名乗るようになってから74歳の今日まで、ずっとイラストレーターの仕事を続けてきました。 企業広告のイラストを手がける一方で、絵本などを出版してきました。2002年から1...
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