11 「笹舟のカヌー」の絵3年かけて30点を完成 自然を背景に人は小さく カヌーで国内外の川を下る旅をしていた作家の野田知佑さんの生きざまに憧れ、野田さんをモデルにした絵を描こうと思い立った私。当時、野田さんのカヌー旅行の様子は専属カメラマンが撮った写真で伝えられていました。...
10 カヌーを始める憧れの野田さんを描き 個展開く夢実現に向けて 1990年代初頭のバブル景気の崩壊は私にとっても人ごとではなく、仕事量は半分以下に落ち込んでしまいました。 当時、私は40歳を過ぎていました。イラストレーターの収入はどうにか生活できる程度。将来は暗く、展望を見いだすことはで...
09 野田知佑さんを知るカヌーで旅する姿に憧れ 紀行文を読み疑似体験 私が作家の野田知佑さんに深く影響を受けるようになったきっかけは1989年、行きつけの書店でたまたま手にした「日本の川を旅する」というタイトルの野田さんのエッセー集です。 野田さんはカヌーで国内外の川を旅して、その様子を雑誌な...
08 双子の息子日々の成長を楽しく見る 発育状況はっきりと違い 1979(昭和54)年、私たち夫婦に双子の息子が生まれました。当時住んでいたのは千葉県松戸市の公団住宅。6畳、4畳半、3畳の和室とダイニングキッチンという間取りでした。 家が仕事場だった私は、子どものおむつを替え、お風呂に...
07 岡沢先生美術館での絵の見方学ぶ お客さん目線で作品見る 南千歳町にあった岡沢絵画研究所の岡沢先生には、美大を目指して通うようになった高校3年生の頃から大変お世話になり、よく面倒を見ていただきました。 先生の作風は、イラストレーターとなった私とはまったく異なり、ファインアートとい...
06 大学卒業直後に結婚フリーランスに理解得る 下積み時代 信頼積み重ね 後に妻となる美鈴と出会ったのは、美大受験のために通っていた岡沢絵画研究所でした。私が吉田高校3年、彼女は長野西高の3年でした。お互いに知ってはいましたが、強く意識し合う間柄ではありませんでした。...
05 大学時代3年生の時親友を亡くす 人生観変わり進路を決意 2年間の浪人生活の末、多摩美術大学に進学できたものの、父親の病気見舞いなどのため4月のオリエンテーション期間中に大学へ行かなかった私は、友達ができないままアパートに引きこもってばかりいました。鬱々として物事が手につかず、絵を...
04 浪人時代美大は狭き門 ひたすらに 合格—ただただうれしく 高校3年生に進級した頃に一念発起して美術大学進学を志し、毎日バスに乗って南千歳町にあった岡沢絵画研究所へ通った私でしたが、1年間で美大に合格できるレベルまでに達するのは難しく、受験した四つの美術大学すべて不合格という結果に終...
03 中学・高校時代美術教諭から褒められる 高3の春 美大進学を決意 1961(昭和36)年、私は柳町中学校に入学しました。当時、全生徒数2千人規模のマンモス校で、生徒は部活動を自由に選べませんでした。私は当時人気のバレーボール部に入りたかったのですが、思い通りにならず、バドミントン部でした...
02 小学校を3度転校寂しかった友達との別れ 先生の影響で絵が面白く 私は1949(昭和24)年、父武夫(たけと)、母節子の次男として木曽の上松町で生まれました。七つ上に姉、三つ上に兄がおり、末っ子の私は大事に育てられました。 父は営林署に勤める国家公務員で転勤も多く、そのたびに家族で引っ越しま...
01 イラストレーター美大卒業後フリーの道へ 軌道に乗るまで3年ほど 私は、美大を卒業して25歳の時にフリーのイラストレーターを名乗るようになってから74歳の今日まで、ずっとイラストレーターの仕事を続けてきました。 企業広告のイラストを手がける一方で、絵本などを出版してきました。2002年から1...